齋藤孝と梅田望夫の組み合わせ。一瞬不意をつかれた気がしたが、「私塾のすすめ」というタイトルは、お二人のどちらを浮かべてもすんなりハマる。面白そう、と手が伸びた。
予想以上に面白かった。対談モノをあまり読まない私にとっては、対談がこんなに面白いというのも嬉しい初体験。
第1章 志向性の共同体
「空気」を作るのがリーダーの役目―確かにね~と思いつつ、耳も痛い。そもそも共同体を「つくろう」という志が希薄、と我が身を顧みる。
第2章「あこがれ」と「習熟」
「型」に習熟させるトレーニングと自主性を生かす活動のバランスが必要。なかなか難しい。が、何をするにも一定のスキルは必要なのはやっぱり当たり前のこと、と心強い。ただし、斎藤さんのように「ぐいぐい」ひっぱる気力はない、かも。
第3章「ノー」と言われたくない日本人
自分から「働きかけ」をしないのはなぜか―それは、「ノー」と言われることに対して弱すぎるから、と梅田さん。自分から動いていく、そういう構えを学生に身につけてもらいたい、というのがちょうど今の私の関心ごとの1つ。どうすればいいのかは試行錯誤中。
ある要望に対する「ノー」は、「その要望に対する『ノー』なだけで、それ以上のことは何もない」のに、断られると「あたかも、人格を全部否定されたかのように思ってしまう」(p.129)―このことを、私はいまひとつ実感していなかった。「ノーが当たり前」だと思っている人は、今の物理的な環境では少数派だ。こちらが「ノー」と言われるのを前提、「ノー」と言うのも当たり前、と思って話をしているのに、残りの人たちがそうでない場合、実りがないのは自明。不要な誤解はうっとおしいだけだが、下手をすると不用意に傷つけてしまう。そういう意味では今の環境では勉強させてもらった。
第4章 幸福の条件
自分の「スタイル」があれば、「アイディア」を作り「ビジョン」を実現していく中で「美意識を感じることができる」と斉藤さん。一方で「『生活が作品』というのが、僕の意思」と言う梅田さん。お二人とも、自分の「幸福の条件」を熟知しているのがいい。したいことがあれこれあって、時間は有限。これは譲れない、ここはあきらめてもいい、というのを自覚していないとやっていられない。もう1つ、それを自分で決めたという覚悟も必要。そうでないと、失敗したとき他人のせいにしたくなる。
お二人のように大きなビジョンはないけれど、それでも「私淑」してしまいました。