街道をゆく (5) (朝日文芸文庫) | |
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初版1978年。「ソ連」の旅客機が云々とか、飛行機内で禁煙のサインが消えないので煙草を我慢したといった当時の話を聞くと、ああ時代は変わったんだなぁ。。。と実感する。
それよりもさらに30年前の「日本帝国が非力ながらソ連と満州・シベリアの国境線を互いに張り合っていた陰鬱な歴史時代」を体験している筆者は、その思い出も織り交ぜるし、モンゴル高原の騎馬民族が「匈奴」(高校以来目にしていない懐かしいターム)と呼ばれた紀元前の話までさかのぼる。もう自由自在。
でもやはり魅力は、筆者を惹きつけた人々の大らかさ、広々感と生活に密着した自然の描写。
モンゴル人民共和国の広さは、フランス+スペイン+ポルトガル+英国ぐらい。そこに「新宿区」と同じくらいの人間しか住んでいない!(78年当時の)
一人あたりが占める空間が巨大なせいか、どのモンゴル人も風貌や言語動作が鷹揚で、年をとると、たいてい、百騎か二百騎の士卒をひきいているような武将顔になる。(185)
また、レニングラードの留学から戻ってきた娘が母に、モンゴルは「みな本物ばかり」だと言ったという話も印象的。
「よその国の都会も自然も、みな作りものみたい。草までそうよ」
乾燥した高原にあるモンゴルの草は、香芝と名づけたいくらに強く匂う。しかしよその国の草は匂わないということをイミナは発見して、まず最初にショックをうけたらしいのである。(172)
大草原の中でただ一つきりの「固定建造物」(=食堂)の絵も素敵だ。
一キロばかり散歩してみようと思った。この食堂を一直線で遠ざかってゆけば、帰り道に迷うことはない。たとえ三十キロ離れても、この食堂の灯は見えるはずだし、それを目指して帰ればよい。(205-206)
今はあれこれ様変わりしているだろうけれど、ぜひぜひぜひ、行きたくなってしまった。
(*今現在は「物騒だから」とダメだしされたが。)
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